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短編アニメーション映画の可能性

短編アニメーション映画の可能性

短編アニメーション映画の可能性

■山村浩二作品集上映会

3月22日(21:30~22:30)、山村浩二作品集上映会に参加しました。21:30分から始まった上映会では、冒頭で、山村監督による簡単な作品紹介がありました。印象に残っているのは、短編アニメーションをより多くの人に知ってもらうために、ショップとギャラリーを昨年からオープンさせているということでした。確かに、私も山村浩二作品には以前から興味があったのですが、これまで視聴する機会がありませんでした。短編アニメーションは商業ベースには乗りにくく、上映機会が少ないからだったのでしょう。

上映されたのは7本の短編アニメーションで、その概要は以下の通りです。

『カフカ 田舎医者』  短編アニメーション、35mm、21分、2007
『こどもの形而上学』  短編アニメーション、35mm、5分8秒、2007
『年をとった鰐』 短編アニメーション、35mm、13分、2006
『Fig』 短編アニメーション、4分20秒、2003
『頭山』 短編アニメーション、35mm、10分、2002
『five fire fish』 短編アニメーション、1分29秒、2013
『マイブリッジの糸』 短編アニメーション、35mm、12分39秒、2011

7本の中で長いもので21分、短いのはわずか1分29秒です。これでは長編とは自ずと異なった作りにならざるをえません。長編アニメと違って、ストーリーや登場人物に同化させるだけの時間がないのです。ですから、ストーリーや登場人物に同化させるのではなく、むしろ距離を置いて批判的に観察させるように仕向けます。そうすることによって視聴者の心に深い問いかけを残すことができます。いってみれば、視聴者の心にさざ波を立てるのです。

そもそも画風がいっぷう変わっています。線画風ですが、日常の風景でさえ異次元の世界に見えてしまう深みがあって引き込まれます。現実世界の複層性は言葉では整理することができない複雑さがありますが、その画風によって、見事に表現されていました。とくに優れていると思ったのが、『カフカの田舎医者』であり、『頭山』でした。いずれも長編では描けない世界です。

上の写真は作品集『Ein Landarzt』の表紙です。
アニメ「カフカの田舎医者」の原作である「田舎医者」は、1918年に年刊誌『新文学』に掲載され、1920年に短編集『田舎医者』に収録されました。
■飲食、談笑、映画
さて、ヒトは誰か他のヒトと心を通い合わせたくて、共に飲み、食事をし、会話をします。それでも、なかなか心が満たされることはありません。それだけではせいぜい他のヒトと快いひとときを共に過ごせたにすぎないからです。そこで、ヒトは感動を求めて映画館に足を運びます。映画であれば、ヒトは少なくとも、ジャンル別に分類された「感動」ぐらいは即席に受け取ることができるからです。このような現代人の欲求に合わせ、飲食と情報コンテンツがセット化されて「賑わい」は作り出されます。そして、山村作品集が上映された会場があるCOREDO室町界隈はそのような一角でした。

やがて、飲食、音楽、「感動的」な大衆向け映画だけでは心が満たされなくなるヒトが出てくるはずです。そうなったとき、山村浩二作品にみられるような短編アニメーションのもつ異化作用の力が必要とされるようになるでしょう。「感動」や「同化」に頼らずに作品世界に引き込む力を持っているからです。「感動」はヒトや人間社会の持つネガティブな要素を排除したところで生み出されがちです。そこに大抵の場合、現実の歪曲があり、強引な解釈が介在します。

こうしてみると、ヒトが現実社会をありのままに見つめようとするとき、衝撃力をもつ短編アニメーションが求められるはずです。短編アニメーションの可能性の一つはそのあたりにあるのではないでしょうか。(2014/03/23  香取淳子)

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